さる3/12にテレ東の看板番組であるカンブリア宮殿に二回目の出演をしました。前回は12年前だったそうで、番組内で取り上げられた前回映像に映っている村上龍さんも自分も、「若いなあ・・・!!」と歳月の流れを感じるものでした。しかし、いまさらながら自分でも再認識しましたのが、12年前は51億円だった年間売り上げが213億円と4倍強になっていることでした。
「そんなに増えたんだ」とも思いましたし、たった51億円の売り上げのころからパリに獺祭の直営レストランを出そうとか、今から考えるとその程度の売上で、ずいぶん無謀なことをやってたんですね。まあ、今も全く変わっておりませんが(汗) でも酒造りに対しての捉え方はこの12年間で相当変わった気がします。というか整理されて一本筋が通ったと思います。
一番大きいのは「手間」という概念にたどり着いたことでしょうか。それまでも、データを重視しながらそれが現す状態をより良い方向に振り向けるためには機械でなく人がやるしかないことには気が付いていて、人による酒造りにどんどん突き進んでいたところでした。ただし、それがどういう意味を持っているかなんて考えていませんでした。
しかし今、建設中の三号蔵の設計をお願いしている東大の川添先生から、「何を一番酒造りに当たって重視している?」「何をお客様に理解してもらいたい?」という議論を投げかけられていたのです。その議論の中で、「手間をかけた酒造り」という概念にたどり着きました。
そして、これはそのときアメリカで始まっていたニューヨークでの酒造りも大きな気づきの一助となりました。ある意味、資本主義の権化の国で、企業は「目標とする品質はそこそこで、工程を標準化し、工数を減らして機械化し、人を減らして、その製品をマーケティング技術を駆使して売りまくり、最大利益を取ることが企業正義」と思われている社会の中で、コストをかけて手間をかける酒造りを追求していくことは彼我の違いを自己認識するには大きな効果がありました。
もっともアメリカ的ではない酒造りの重要性に気付かさせてくれたのです。そして、そのアメリカ社会が経済的には成功し世界経済を代表する国家となっているにもかかわらず、街を歩いても人々が幸せそうではないこと。どう見ても、特定の人は別にして、人々は幸せになっていないこと。格差を生むことが経済発展の結果として厳然とあること。格差と勝ち負けの社会の先には戦争しかなさそうなこと。
こんな社会を目の当たりにすると、獺祭のように「手間をかける(人手をかける)酒造り」に代表される日本的価値観が、現代の資本主義社会のアンチテーゼとして必要なものに思えるのです。そして、それは獺祭が世界に出ていくうえで大きな精神的支柱になり、戦力になっているのです。こんなことも思い起こさせてくれた二度目のカンブリア宮殿出演でした。
☆お客様☆
ところで放映後、さっそくご覧になった方から酒蔵へのお問合せメールを通してお𠮟りを受けました。「番組を見てたら会長も社長も「お客さん」と発言している。あれは「お客様」と呼ぶべきだ」「会長・社長は言葉遣いの教育をする必要がある」とのこと。
確かにそのつもりで番組を見てみると、「お客さん」と二人とも形容しています。うーん、これからは「お客様」というようにしなければいけない?・・・・・できるだけ?・・・・・反省して?・・・・・頑張ります。
